世界遺産 熊野古道

2004年7月、「紀伊山地の霊場と参詣道」がユネスコの世界遺産に登録されました。それぞれ異なる宗教の霊場である「吉野・大峯」「熊野三山」「高野山」およびその「参詣道」について、文化遺産というカテゴリーでの登録となっております。このうち「熊野三山」に至る「参詣道」すなわち「熊野古道」の景勝地の大半は、いわゆる熊野九十九王子や熊野古道周辺の神社の社叢(森)に由来されています。とくに田辺から本宮へのメインルートである中辺路はついては、明治末期から大正中期にかけての南方熊楠らによる神社合祀反対運動による自然保護活動がなければ、今回世界遺産に登録されるだけの資産を維持できなかったといわれています。

※神社合祀・・・1906年より第一次西園寺内閣が全国に励行した一町村一神社化であり地域の神社森が伐採された。当時、町村に祀られる神社は民の信仰の拠り所でもあり、その神社にある森には熊楠自身が研究を進めている陰花植物の多く存在したこともあり、当時合祀反対の立場を取っていた「牟婁新報」に反対意見書を発表し中央の役人に反対運動を働きかけた。「日本民族学の父」と呼ばれ、当時の内閣法制参事官であった柳田国男が熊楠の運動を助けた。熊楠の運動の成果により、伐採を免れた神社林はいくつかあり、特に田辺湾の神島(国の史跡名勝天然記念物)や熊野中辺路野中の一本杉(熊野古道)は著名である。